とある窓拭き野郎の憂鬱
変わらない日常。無意味な毎日。最近、人生が進んでいる感じがしなくなった。人生ゲームでいえば、ずっと同じマスに止まっている感覚だ。
進んでる感がなくなったのは、20歳を過ぎたあたりから。大学進学を諦めて、フリーターになったのが、ちょうどこの頃だった。
2浪した上での進学断念。両親の俺を見る目が変わりだしたのも、ちょうどこの頃。。
逃げるように上京。目的は何もなかった。ただ、実家にいるのが辛くなっただけだった。
色々なバイトを転々とした。飲食、ティッシュ配り、引越し、警備員。
どれも長続きはしなかった。半年以上続いたバイトはひとつもない。
最終的に落ち着いたのが、窓拭きのバイト。もう始めて2年になる。
人見知りで、体力に自信のない俺にとって、窓拭きはうってつけのバイトだった。
意外に思うかもしれないが、窓拭きは体力的にキツいバイトではない。むしろ楽な部類に入る。よその会社のことは知らないが、少なくとも、俺のいる会社はそうだった。
俺のいる会社は、業界でも比較的大きな会社らしい。作業員の人数も100人をこえている。
なもんで、現場も大きなところが多い。聞けばみんなが知っているような、大きなビルばかりだ。
俺が配属されたビルも、とある有名な高層ビルだった。
配属。そう配属されたわけだ。俺の配属先の現場は、いわゆる常駐現場。1年中毎日、常に作業員が入り、窓拭きをしている。そんな現場だった。
この現場では、班がふたつに別れていた。内側と外側。室内作業班とゴンドラ作業班だ。
俺の配属は外側。ゴンドラ班だった。面接で人見知りがバレたのだろう。
ゴンドラは1ヶ月かけてビルを1周する。1周したら、またスタート地点に戻り、最初から。毎月それを繰り返す。
最初は、生まれて初めて乗ったゴンドラに興奮していた。都心を見下ろすような高さ。絶景。
なんだか急に自分が都会人になったような、そんな感覚だった。
バイトがつまらなくなってきたのは、始めて半年後。仕事にも慣れてきた頃だった。
ゴンドラに乗って窓を拭くのは、さして難しいことではない。始めて一ヶ月もたてば、それなりに出来るようにはなる。
仕事に慣れるまでは、それなりに毎日が充実していた。日々自分の成長を実感していた。昨日より上手く窓が拭ける。そういった積み重ねが楽しかった。
で、半年後。周りの人の足を引っ張らないくらいには成長していた。
後から聞いた話だが、俺の配属された現場には、いわゆる速い人はいなかったらしい。どおりでみんな、無気力な顔をしているわけだ。
ゴンドラは複数人が同時に乗って窓を拭くため、俺だけが速く窓を拭いても意味がない。みんなが速く作業しないと、ゴンドラ自体のスピードは、決して速くならない。
みんなと同等程度のスピードになった俺は、当然のように、それ以上速くなりたいとは思わなかった。なぜならそのことには、意味がなかったからだ。
そう考えるようになった頃から、仕事がつまらなく感じるようになった。
なんといっても、俺の仕事には終わりがない。
一ヶ月をかけてビルを1周すれば、一応の終わりだが、それはまた翌月のスタートでもある。ゴールがスタート地点と同じなのだ。これは虚しい。
まるで、回し車に乗るハムスターのようだ。クルクルとビルを周るだけ。。
やれどもやれども変化のない日常。俺も周りのみんなと同様、どんどん無気力になっていった。仕事のスピードはもちろん、仕上がりにも興味が失せた。
辞めて他のバイトを探すという選択肢はなかった。
もうこれ以上、バイトを転々としたくないという気持ち。してもしょうがないという諦め。
また、今の無気力な人間に囲まれている環境も、まんざらではなかった。
彼らに対して、俺がなにも期待していないのと同様に、彼らもまた、俺に対して期待をしていなかった。
そういう関係が心地良かった。過度な期待をされるのは辛い。田舎の両親の、あの目を思い出す。。
自分の存在意義はなんだろう?生きがいってなに?この先に明るい未来はあるの?
ときどき、そんなことを考える。
毎日同じ時間の電車に乗り、同じ時間の電車に乗って帰る。
完全にルーティン化された作業。
消えた感情。
そこに自分らしさは、、もうない。
そう。俺はロボット。
都会に浮かぶ窓拭きロボ。